2016/01/19

丹波布・・・命の声を聴く




 
兵庫民芸協会会長で木工作家の笹倉徹さんから頂いた年賀状には

「聴木」と書いてありました。

多分素材である木材の声に耳を傾けるという意味なのだろうと思います。

お目に掛かった際に確認してみようとは思いますけどね。

『手作り』と『工業生産』との違いは何なのか?について、

或る人が、一言で言えばそれは作る側と素材との間に

会話が成立しているかしていないかの差だと、

話されているDVDを見た事が有ります。

何気なく手作りの仕事を続けながら、

敢えてそういう言葉にしての自覚が無かったのですが、

言われてみればその通りだと思います。




綿から糸を紡ぎ出す際には、綿の声を聴く、

糸車の声に耳を傾ける、

紡ぎ出される糸に心の内で声をかける、

とそうとしか言いようのない気持で作業を続けています。

そして整経だとか綜絖(ソウコウ)通しと云う作業の際は、

特に一本一本の糸の声に耳を傾けないと、

作業が雑になったり、その結果つまらないしくじりをしたりすることがあります。

言ってみれば糸に裏切られてしまうと云うのかしっぺ返しを受けるんですね。

そして機(ハタ)に乗せた後は、扱い慣れた機(ハタ)といえども、

シッカリ機の声に耳を傾けなければ成りません。

その態度で臨む時初めて、機と織り手である私との一体感が生まれるのです。




そうでないと機と私の間に微妙な溝が出来て、

作業がちぐはぐしたり、思い通りの布が出来上がってきません。

その仕事に関わる全ての『生命(いのち)』、その生命(いのち)の声に耳を傾ける時、

私が良い布を織り上げるというのでは無く、

全てのいのちが活かされて私に素敵な織物をプレゼントしてくれるような、

そんなことを考えるのです。

今年も倦(ウ)まず弛(タユ)まず、

それら全て織物に関わるいのちの声に耳を傾ける作業を続けていく所存です。





本年もどうぞ宜しくお付き合い下さいますようお願い致します。