2016/11/29

丹波布 変と思うのは私だけ? 丹波布

 
 
 

 
変な感じ・・・そんな風にしか言えません。


Facebookで使用する写真はもちろんシェア自由ですし、

どこかに出品していた自分の作品(丹波布)が

写真に撮られることもあります。

私の作品(丹波布)をわざわざ写真に撮って下さったり、

Facebookでアップした写真をどこかで活用されたりするのは、

考えようによっては嬉しいことでもあります。

でも、他人の写真をいかにも自分が撮影したように装ったり、

私の作品(丹波布)を自分の作品のように

掲載されていたりするのは、やっぱり変な感じです。

ましてそれが公的なサイトに署名入りで

アップされていたりすると尚更です。


昨日『丹波布』で検索していて、

えっ?私の作品!と思ってクリックしたら、

作品は間違いなく私の物だったのですが、

その写真を撮った記憶はありません。

それでその写真から遡っていったら

某公的組織のサイトに某グループ名で私の作品がアップされていました。

その公的サイトとそのグループの両方から、

私の作品(丹波布)が認知されたのだ、と受け止めれば、

結構な事!とも思えるのですが、やっぱり変な感じです。


ところで、今朝テレビを見ていたら、

観光に訪れた外国人がそのマナーの悪さを注意されて、

逆ギレしているところを放映していました。

なんだかその連想で、

私は今回のことも(無断で他人の作品写真を使用するという、

ある意味でのマナー違反だと思うのですが)無視を決め込むことにしました。

今回のブログに使用した写真

(わざわざバックに撮影用のスクリーンまで使ってあるような・・・)が、

私の知らない所で使われている私の作品写真です。

やっぱりなんか変な感じ!です。

2016/10/27

感謝・感謝!


表具と丹波布コラージュ
 
三つの「R」展


 
顔を合わせる人には勿論「有り難う御座いました」と必ず言いますが、

展示会以降、次にお目にかかるまで時間が空いてしまう人には、

ここで心から「有り難う御座いました」。

「丹の布」に新しく加わった若い技術者の布も売れ行きが思いの外よく、

本人達もとても勉強になったと喜んでくれました。




そして今回の驚きは、これまでの展示会とは比べものにならないくらい沢山、

丹波布に関係する人達が来場して下さった事です。

もしかしたら、同業者の認知度合いが上昇しているのか?

と勝手な自惚れ感想に浸っています(^^ゞ

昨年の秋並みには行きませんでしたが、

高価?なストールから小物まで、

そして今回表具師太田さんと協力した端布コラージュの作品各種を、

随分お買い求め頂きました。




 

更には展示会を通じて次の注文を戴けるという、嬉しい展開です。

直前は睡眠時間が極端に少なくなってしまうという

段取りの悪さはいつものことですが、

睡眠時間を削った「甲斐」が実感できたりもします。

まだ公開する話ではありませんが、密かにステップアップのための計画をたて、

それを実行する段階にも入り、或る意味での充実感を味わっていますが、

考えてみれば多くの人の支えがあって初めて叶うことです。

そんな多くの人のお陰を改めて強く感じるのが、展示会後の感想です。

忘れた頃のブログアップですが、


関係者の皆さん、展示会に顔を出して下さった皆さん、協力してくれたスタッフ、

すべての人に心から有り難う!です。

本当に皆さん有難う!

2016/09/14

丹の布・・・工房の充実

 
無謀?にも、丹波布工房&ギャラリー「丹の布」を開設して2年半。

それでも漸く機(ハタ)も二台、インテリアも丹波布工房らしく、

自分好みに整ってきました。




また複数回工房においで下さる人や、

繰り返し纏まった注文を下さる方も増え、

最近は月に一度の『勉強会』も開催できるようになりました。

河井一喜さんの食器を常設して、

それを求めておいで下さるお客さんも増えてきました。

そして、フェアも確実に年に二回開催できています

(表具師の太田さんの協力があっての事ですが)。

関係する皆さんに感謝!感謝です!



工房の充実に伴ってスタッフも整い、

ほんの少しですが仕事をこなしていくスピードも

効率も上がってきたように思います

(そういう事を計画的に進めるのが苦手なんですけど)。



法事の粗供養に!と云う注文は二回目ですが、

今回はテーブルクロスをご注文頂きました。

しかし、他の仕事との関連で期日までの納品が厳しいと判断し、

今回は私がデザインだけを担当し、染色と織りを、

今年から専修生になった新しいスタッフの一人小川陽子さんに御願いしました。

染色も織りも、私のデザインを見事に活かす素敵な仕事をしてくれました。




勿論納品日も余裕を持って迎えられます。

唯の技術者の集まりでは無く、

分担して一つの仕事を仕上げられるのが、民藝としては寧ろ理想。

この調子で頑張らなきゃ!と、


織り上がってきた24枚のテーブルクロスを眺めながら決意新た!です。


2016/05/06

旅立つ「布」



 
毎年流行語大賞というのが年末に発表されますが、

それをテレビで見ていて「なるほどね」と納得することがあります。

最近は余り面白くなくなってきた様な気もするのですが。

その「なるほどね」と納得するというのは、多分素敵な言葉は、

誰かがそれを口にした時にひとり歩きを始める、

その事に対する納得では無いかと思います。

同じように「布」も充分ひとり歩きをしてくれる布があります。

それはやっぱり織り上がった時に自分でとても満足いく布です。

或いはメンバーから預かった時に同じ技術者として

「シッカリ織られているな」と思える布がそれです。


もう既にひと月ほど前になりますが、







がま口を複数ご注文頂きました。

注文主は50代の若い「おばあちゃん」です。

ご自分でお使い頂くがま口と、お嫁さんにプレゼントするがま口と、

そしてお孫さんにショルダーバッグに見立てて持たせるがま口。





特にお孫さんにプレゼントされるものは、おばあちゃんのコーディネート。




旅立つ「布」がひとり歩きを始めてくれる喜び。


これも「物づくり」ならではの喜びです。

柳宗悦が「用の美」と言った「用」は、使われること。

それは言い換えれば「ひとり歩き」出来る物であり、

思いもかけない物に見立てられる、

そんな事も意味しているのでは無いかと私は思う事があります。 

2016/04/17

『用の美』・手仕事


 
柳宗悦の言った『用の美』という言葉は、

他の何物にも代えがたいくらい良く出来た言葉なので、

多くの人が色んな場面で使います。

ただ、この言葉は余程深く考えなければ、

その言葉から抜き差しならない間違いも起こすのじゃ無いか?とも考えます。

とそういう理屈の話ではなく、







昨日依頼を受けて織った布で仕立てられたベストを着て、

工房を訪ねて下さったお客さんがありました。

実はこの布は一度織り上げた後、

どうしても納得がいかなくて糸紡ぎから染色まで全てやり直した布だったので、

喜んで仕立て上がりを見せに来て下さったことがとても嬉しくて、

このブログを書いています。



「用の美」という定義から言えば、織った布は何かに仕立てられ、

そしてそれが喜んで使ってもらえるようでなくては

意味が無いのだと私は考えています。

「織り上げるまでが私の仕事」と、そんな事を真顔で言う人が在りますが、

それは民藝運動を始めた柳宗悦が、丹波布をある骨董市で見かけた事から、

その復元と新しい展開が始まっているのだという事を

無視したことになるのでは?と言うのが私の考えです。

昨日の思いがけない喜びの中での、ささやかな私の主張です。



2016/04/06

丹の布「織風」

 
 
 
 
 
 
織物の世界に「風合い」という言葉があります。
 
『ウィキペディア(Wikipedia)』 には・・・風合い(ふうあい、英:handling)とは、
 
織物や紙などの手触りや肌ざわり、着心地など、
 
人がものに触れた時に感じる材質感のことである。
 
その使用例は、タオルや風呂敷などに関する記述で見られる・・・と
 
解説されています。
 
言葉にしたら確かにその通りなのですが、
 
この説明では何かしら大切なものが抜け落ちていると思って、
 
今月末より始めるワンコイン勉強会で、
 
民藝運動の父と言われる柳宗悦の「民藝とは何か」
 
について講義をして貰う滝川和尚さんに「風合い」について話をしました。
 
そしたら滝川和尚さんが、今から27年前に書かれた
 
「西楽寺読本」の後書きに『風(ふう)の継承』
 
という文章を書かれているのだということを教えて戴き、
 
そしてそれを読ませて頂きました。
 
その書き出しは次のようになっています。
 
 
 
 
・・・・・・ 私は最近しきりに「風」ということについて考えている。
 
曰く「家風」「気風」「作風」或いは「風」が逆に付いて「風格」「風物」「風味」
 
などと使われる「風」に就(つ)いてである。
 
抑々(そもそも)我々が日常口端(くちは)に乗せる「風」という語は、
 
非常に漠然とした言葉である。
 
広辞苑によれば「風」とは、おもむき・あじわい・様子・なにふり・すがた等と
 
その意味する処を羅列してあるが、我々はこれらの全てを含んで、
 
更にそれ以上の曰く言い難(がた)いプラスアルファを
 
意図して「風」という語を使っているのではないであろうか? ・・・・・・と。
 
 
 
 
その他「風景」と「光景」の違いや「気風」と「気性」の違いなどについても書かれていますが、
 
読んでいて思う事は、「風合い」も『ウィキペディア』が説明する
 
「手触り・肌ざわり・材質感」などと云う言葉だけでは無い、
 
言葉にならない何かを含んでいると私は思います。
 
もちろん「色合い」などと云うのも「風合い」を決める一つの大きな要素でしょう。
 
私は前の滝川和尚さんの文章に触れて、
 
技術やセンスだけでは作り出すことの出来ない織物の味わいについて思いを巡らせます。
 
 
 
 
 
それは、『家風』がその家ならではの人格を作り出し、
 
良くも悪くも『社風』が、その会社に勤める人間の独特の雰囲気を作り出すように、
 
「丹の布」ならではの「織り風」というものを作り上げていかなければならないのでは無いかと。
 
今月から始める月に二回の勉強会をなぜ自分が始めようとしたのか、
 
その事が自分の中で改めてはっきりしてきた気分です。
 
 
 



2016/03/29

丹波布☆ストール&ショール展


・・・10日間の展示会を終えて・・・

 

 
浮かれたり有頂天になっている、と誤解を招かないように気をつけながら、

今回のフェアにおいで下さった皆さんや手伝って下さったメンバーへの

お礼を兼ねて結果レポートです。

結論を一言で言えば、工房でのフェアとしては一番良く売れました。

その原因は何なのか? 冷静に正しい現状分析が必要なのだと思います。

ひとつには間違いなくリピーターが増えました。

また、工房をオープンして以降、

工房を通じてお知り合いになった人との関係が深まり、

その人達が自分の友人達を連れて顔を出して下さると云う事が有ります。

その場合は、友達の顔を立てて買って下さると云う事も有るでしょうが、

元々丹波布に興味を持っている人を選んで

連れてきて下さっていると云う事が考えられます。

技術的な問題としては、丹波布の四つの約束事を守りつつ、

大胆に季節に見合ったデザインと織り方を試みたのが、

或る意味で意外性を提供できたのかも知れません。

他の技術者にチョット申し訳無いのですが、

11枚売れたストールのウチ10枚は私の織り上げたものでした。

もちろん、自分の物を積極的にセールスするなどと云うことはしていません。



もしそんな事をしていたら、

常駐して下さったメンバーの気持ちを白けさせる結果にも成るでしょうから。

おいで下さった方の好みをそんなに誘導できるものでもありませんから。

但しストール以外では他の技術者の物も少なからずお買い求め頂きました。



河井一喜さんの陶器類も、

リピーターが目的を持って買いに来て下さったり、

表具師太田嘉久さんとのコラボ額に

目を止めてお買い求めて下さった方もあります。

もぉ何もかも本当に感謝!感謝!です。

そして張り合いが出ると同時に、

尚一層、毎回期待を裏切らない仕事を心がけて


精進していかなければ!と身が引き締まる思いです。

来月からは近しい人達に声を掛けて、

民藝に関する「ワンコイン勉強会」を月に二回開催することにしました。

勉強会の様子なども、ブログかFacebookでご報告します。

Facebookで宣伝して下さった方や、

情報をシェアして下さった方、何度も足を運んで下さった方や、

我が事のように手伝って下さった方々、

一々名前を挙げませんが、本当に有り難う御座いました。

2016/01/19

丹波布・・・命の声を聴く




 
兵庫民芸協会会長で木工作家の笹倉徹さんから頂いた年賀状には

「聴木」と書いてありました。

多分素材である木材の声に耳を傾けるという意味なのだろうと思います。

お目に掛かった際に確認してみようとは思いますけどね。

『手作り』と『工業生産』との違いは何なのか?について、

或る人が、一言で言えばそれは作る側と素材との間に

会話が成立しているかしていないかの差だと、

話されているDVDを見た事が有ります。

何気なく手作りの仕事を続けながら、

敢えてそういう言葉にしての自覚が無かったのですが、

言われてみればその通りだと思います。




綿から糸を紡ぎ出す際には、綿の声を聴く、

糸車の声に耳を傾ける、

紡ぎ出される糸に心の内で声をかける、

とそうとしか言いようのない気持で作業を続けています。

そして整経だとか綜絖(ソウコウ)通しと云う作業の際は、

特に一本一本の糸の声に耳を傾けないと、

作業が雑になったり、その結果つまらないしくじりをしたりすることがあります。

言ってみれば糸に裏切られてしまうと云うのかしっぺ返しを受けるんですね。

そして機(ハタ)に乗せた後は、扱い慣れた機(ハタ)といえども、

シッカリ機の声に耳を傾けなければ成りません。

その態度で臨む時初めて、機と織り手である私との一体感が生まれるのです。




そうでないと機と私の間に微妙な溝が出来て、

作業がちぐはぐしたり、思い通りの布が出来上がってきません。

その仕事に関わる全ての『生命(いのち)』、その生命(いのち)の声に耳を傾ける時、

私が良い布を織り上げるというのでは無く、

全てのいのちが活かされて私に素敵な織物をプレゼントしてくれるような、

そんなことを考えるのです。

今年も倦(ウ)まず弛(タユ)まず、

それら全て織物に関わるいのちの声に耳を傾ける作業を続けていく所存です。





本年もどうぞ宜しくお付き合い下さいますようお願い致します。