2017/11/28

福永さん丹波へ (思い出の丹波布)


福永さん来丹

 

 
 
私のお師匠さん(福永世紀子先生)が、

過日丹波布復興60周年記念展示会に合わせて丹波においでになりました。


昭和49年、福永さんは、

それまで本綴織りで指名客がつくほどに成っておられたのですが、

それをなげうって丹波に移住されました。

そして私の実家近くに一軒家を借りられて

「棉戯房」と名付けた工房で丹波布を織っておられたのです。


実はその頃、私の母と親しくされており、

私が丹波布を始めた頃母はよく、

四国に帰られた福永さんを訪ねるように私に勧めていました。

しかしその機会を得ぬまま私は丹波布の仕事を続けていたのですが、

ある展示会で、初めてお目にかかる人から「貴女はご存じないかも知れないが、

かつて丹波におられた福永さんの布を思わせるものがありますね」

と声をかけられて驚いたことがありました。

その後、縁あって福永さん宅を訪ねて以降、

私は「自分のお師匠さんはこの人をおいて他には無い」と思うようになりました。

今では年に数回、片道5時間程の道のりですが、

高知県の「棉戯房」を訪ねています。

もちろん電話でお話しする機会はたびたびありますし、

貴重な史料をお借りする事も再々です。





今回の記念展示会には、色んな人のすすめや協力があって、

お師匠さんのサンプル生地もたくさん展示される事になりました。

そして福永さんは、その事よりも、

丹波で修業時代とても厳しい指導をして下さった
 
故藤本均氏(当時大阪在住)のコレクションが多数展示されるというので、

ぜひもう一度それを見たいからと、

私も親しくさせて貰っている地元のお弟子さんお二人と共に来丹されたのです。






当時いち早く福永さんの丹波布こそ本物だと評価されていた

陶芸家・柴田雅章さん(篠山在住・民藝館展審査員)とも

久しぶりの再会となりました。


もちろん母とも再会、

当時の家主さんとも再会を喜び合われるという、

私にとっても嬉しい、有意義な福永さんの丹波帰りの一泊二日でした。

ところで福永さん一行は約束の時間より早い電車で来られて、

その事を私に電話して下さっていたのですが、

その日私は携帯を工房に置き忘れて出かけていました。

それで私は駅で待ちぼうけ、

一行はいち早く展示会場へというすれ違いがあったのですが、

私のおっちょこちょいの所と、

お師匠さんも意外におっちょこちょいの所があるので、

それが重なり合ったすれ違いというオチまでついた、

でもとっても楽しい二日間でした。

2017/11/09

丹波布講演(地元高校で)

 
緊張の1日


 

今朝私は、ようやく緊張から解放された朝を迎えました。

実は昨日、私は氷上高校の『地域未来』という企画で、

二年生(約100人)に丹波布に関する話を一時間ばかりしたのですが、

昨日までは、朝起きるたびにそのプレッシャーに悩まされていました。

だから今朝は爽やかな朝(笑)



講義は、プロジェクターを駆使して、

事前に送っておいた画像なども使いながらのものです。

話の組み立ては、

①「民藝」と言われるものがどういう定義づけで始まっているのか?

②その運動の主唱者「柳宗悦」という人がどのような人なのか?

③そしてその柳宗悦と丹波布がどのように関係するのか?

④更に柳宗悦が調査を依頼した上村六郎のこと。


以上の事柄を通じて丹波布の歴史を語り、

丹波布の未来についても話を進めました。

勿論、郷土をより深く知って貰う企画なので、




技術者としての私が、

今現在この丹波の地で採取されるどのような物を染色材料としているのか?

と云う話もしました。

話のまとめは『受け継がれるべき伝統』についてです。

特に手仕事に関する技術は、より高い技術を追い求めなければ、

時代の波に押し流されるのでは無いのか? などという、

私自身の手仕事とその継承に関する思いを伝えておきました。

話は一時間を過ぎてしまいましたが、

熱心にノートを取りながら聞いてくれる生徒さんがあったり、

話のあとで生徒以外の何人かの関係者から

『目から鱗』だったと感想を伝えられたりしました。

緊張して過ごした数日間の意味があったかも知れません。
 
 



今月18日から26日まで、

丹波の森公苑で丹波布復興六十周年の記念行事が開催されます。

そこにはこれまでほとんど幻のコレクションとされていた

藤本均(故人)さんの丹波布コレクションが60点展示されます。

そしてその藤本さんの指導を受けて、

木綿物に関しては押しも押されもせぬ地位を築かれた、

私のお師匠さん「福永世紀子」先生の丹波布も多数展示されます。

その紹介もしておいたので、

この機会に若い世代が更に多く丹波布に興味を持ってくれたなら、

私は緊張の数日を過ごした甲斐があったという事になるかも知れません。