2013/04/27

古代の五色・・草木染め

 ☆   古代の五色  ☆ 
 
 
日本の染色技術は、いつ頃から始まったのだろうー?
 
そんな思いから、古代の染色を調べて行くうちに、
 
どっぷり嵌ってしまいました ♪
 
 
・ ・ ・   歴史の色 ・ ・ ・
 
 
さかのぼると、縄文時代に人は衣服を着だし、

その衣服は樹皮や草皮の繊維をさき、

編んで衣類としていたようです。

やがて樹皮や草皮の繊維を細くして織ることを

覚えて行ったようです。
 
色彩は、自然のままの茶系統の色で、
 
布を水に晒して白い布を得ることを知り、
 
その後、灰で白く晒す技術を取得しています。、

ここから染色の世界は開かれたようです。
 
原始の染色は  ・ ・ 白 ・ ・

また、茶系統の布を泥水に浸したところ

たまたま泥水が鉄分を含んでいたので

 ・ ・ 黒 ・ ・に染まった・・泥染の元祖。

(泥染の発祥の地は、奄美大島ですが、

ここには「天の川伝説」があるようですね。)


弥生時代に入り、蚕や桑も他国から渡来し

絹糸の染色や織りが盛んになり、

飛鳥時代に、聖徳太子によって冠位十二階を制定。

冠位十二階の有職の色を、五色で表しました。


< 古代の五色 >

 青(仁)・赤(礼)・黄(信)・白(義)・黒(智)

上記の五色に

最高位の 紫(徳) が位置します




・ ・ 「紫草(むらさき)」 ・ ・

古代服色最高位の色
 


木綿糸のむらさき染め

絹糸のむらさき染めは、もっと濃く染まり光沢が

あります。



・ ・ 「青(緑)」 ・ ・

また、紀元前に南方系の民族が日本に持って来た

種の一つ「臭木」


木綿糸の臭木染め

「古事記」や「万葉集」にも詠われてる「青(緑)」です。

むらさき染めと同じく、絹糸の臭木染めは鮮やかな

青磁色になります。



・ ・ 「赤」 ・ ・

現在も山裾や河川敷などに野生している茜草です。

「茜草」も紀元前に日本に渡来してきた種を

蒔き栽培していたようですね。

茜草の根を染めるとオレンジ系の赤が染まります。

この茜草の色も、古代の五色の「赤」です。

私も今後、挑戦してたい色ですね。



・ ・ 「黄」 ・ ・

 
代表的な黄染は、「檗(きはだ)」です。

「檗」は、落葉高木で幹の内皮は黄色をしています。

縄文時代に北海道から中部の山間地で

染めていたようです。
 

他にも黄染は、「刈安」・「支子(くちなし)」・「桑」等

で染めていたようですね。

刈安は、別名こぶな草。


木綿糸のこぶな草の生葉染め

生葉染めは、レモン色に染まります。

毎年、「こぶな草」を育てています。



・ ・ 白 ・ ・

川や沼などに浸して漂白していた。



・ ・ 黒 ・ ・

タンニンが多く含まれている茶系統の

「榛(はんのき)」・ 「樫(かし)」・ 「椎(しい)」

・「五倍子(ごばいし)」等による泥染めですね。

現在では、一般的に濃い茶系統に染めて

鉄媒染で黒に染めます。


「風土記」・「日本書記」・「延喜式」等に

「五色」の文字が多く記されていて、

紀元前から五色などの染色があったことが

わかっています。

古代の五色は、絹糸の草木染めです。

木綿糸よりも絹糸の方が、色合いも鮮やかで

光沢があります。


絹糸の歴史は、紀元前から日本で繭から糸にし、

織り技術もあったようです。


木綿の歴史は、紀元後の799年に棉の種が

日本に入って来て栽培が始まっています。


木綿糸染色は、絹糸に比べイオン結合が弱い為、

薄い色に染まり直ぐに褪せてしまう ことから、

染色時に媒染液に浸し色止めをして、

さらに色吸着出来ていない個所を

染液に戻す事によって色吸着させます。

絹糸よりも木綿糸の染色は、手間がかかります。




「古代の五式」を調べていると、

歴史にロマンがありますね ♪


染色知識がまた増えて、染色がますます

楽しくなりそうです ♪



・ ・ 感謝 ・ ・


木綿糸の草木染めは、絹糸の草木染めに比べたら

鮮やかな色には染まりませんが、本来植物が

持ってる「優しさ」「暖かさ」「柔らかさ」のある

色合いに染まります。


自然の恵みを壊さないように

織り上げたのが「丹波布」だと

私は思っています。


丹波布に携われる事に、感謝しています☆














 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2013/04/01

古代の高貴な色ムラサキ

 
・ ・ ・  紫草(ムラサキ)  ・ ・ ・
 
 
 
2年前から自宅で紫草を育てています。
 
この紫草は、万葉集にも名が出てくる
 
程、歴史は古く奈良時代から江戸時代
 
末期まで栽培が行われてきました。
 
紫草の根(紫根)を染料にします。
 
万葉の昔より紫草は貴重な植物で、
 
天皇家の御料地として、番人を置いて
 
立ち入りを制限して保護していたぐらい
 
貴重な染料として扱われたようです。
 
明治時代以降は合成染料の登場に
 
より商業的価値を失い、紫草自体が
 
絶滅危惧種になってしまった植物
 
です。
 
紫草の栽培は、とても難しく環境を
 
整えてあげないと、病気になったり
 
虫の餌食になります。
 
しかし、我が家では今年もちゃんと
 
芽が出てくれました。
 
 
 
 
1本の根元から3芽出てきてます ♪
 
左側に、種が落ちて芽が出てきてます ♪
 
小さな芽も、ちゃんと育ててあげるからね ♪
 
2年以上経たないと染料にならないんですよ。
 
 
 
 
 
こちらは、昨年枝を挿し木にしてました。
 
見事に沢山芽が出てくれました。
 
紫草には、日本ムラサキと西洋ムラサキが
 
あります。
 
見分け方は、葉っぱの大きさと白い花の形
 
が違うところです。
 
今年もプランターを沢山購入して、移植して
 
あげないと・・・・今年も、例年以上に
 
忙しくなりそうです。
 
 
 
 
こちらが、紫根で染めた綿糸です。
 
紫根も藍と同じで、染色時には温度管理が大事
 
です。
 
椿の灰汁で先媒染して染めます。
 
染め色は、薄くも濃くも染めることが出来ます。
 
こちらは、薄目に染めました。
 
古代は、紫は高貴な美しい色とされ、紫根染め
 
が盛んに染められていました。
 
 
☆ 代表的な万葉集をご紹介 ☆
 
 
「茜さす  紫野行き  票野行き  
 
野守は見ずや  袖を振る」
 
・ ・  額田王 ・ ・
 
 
額田王は、斉明天皇(天智天皇と天武天皇の
 
母)に仕えた高貴な女官。天智天皇の妻。
 
昔の恋人の大海人皇子(天武天皇)に詠んだ
 
歌だそうです。

恋文ですよ。
 
 
ハイカラですね~☆☆☆