2016/04/17

『用の美』・手仕事


 
柳宗悦の言った『用の美』という言葉は、

他の何物にも代えがたいくらい良く出来た言葉なので、

多くの人が色んな場面で使います。

ただ、この言葉は余程深く考えなければ、

その言葉から抜き差しならない間違いも起こすのじゃ無いか?とも考えます。

とそういう理屈の話ではなく、







昨日依頼を受けて織った布で仕立てられたベストを着て、

工房を訪ねて下さったお客さんがありました。

実はこの布は一度織り上げた後、

どうしても納得がいかなくて糸紡ぎから染色まで全てやり直した布だったので、

喜んで仕立て上がりを見せに来て下さったことがとても嬉しくて、

このブログを書いています。



「用の美」という定義から言えば、織った布は何かに仕立てられ、

そしてそれが喜んで使ってもらえるようでなくては

意味が無いのだと私は考えています。

「織り上げるまでが私の仕事」と、そんな事を真顔で言う人が在りますが、

それは民藝運動を始めた柳宗悦が、丹波布をある骨董市で見かけた事から、

その復元と新しい展開が始まっているのだという事を

無視したことになるのでは?と言うのが私の考えです。

昨日の思いがけない喜びの中での、ささやかな私の主張です。



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